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コンセプチュアルバンド「元気ロケッツ」がグッドデザイン賞を受賞した。CDジャケットのデザインが、ではない。これは「元気ロケッツ」というコンセプトデザインに対するものだと認識している。宇宙で生まれ育ち、地球に憧れながらも未だ地上に降り立ったことのない30年後の18歳であるLumiがフロントアクトとつとめ、地球への憧れを歌う、それが「元気ロケッツ」である。楽曲はダンサブルでポジティブ、その名のとおり「元気」になる音楽だ。今年7月にはデビューアルバムをリリースした。

だが、プロデューサーの水口哲也氏はそうしたいCDに至る、わゆる音楽の展開を考えていたわけではない。

そうした経緯を含め、元気ロケッツがどのようにデザインされてきたのか、今回のグッドデザイン受賞を記念したトークイベントに参加してきた。

グッドデザイン賞受賞記念特別トーク
コンセプチュアルバンド「元気ロケッツ」をどうデザインしたのか?

聞き手はジャーナリストでグッドデザインの選考委員でもある福冨忠和氏。実は、福富氏は覚えているかわからないが、学生時代の10数年前に「マルチメディア研究会」という今となってはちょっと恥ずかしい名前の研究会でお会いしたことがある。その後も数年おきにこうしたイベントでご挨拶はさせていただいてはいる。水口氏にも1年前くらいに本職の取材でお会いして、本題とは違う部分でいろいろと楽しいお話を伺ったことがある。そういうわけで、このお二人が登壇するというのは個人的にも大変楽しみな組み合わせだったというわけだ。

さて、元気ロケッツは当初から音楽企画としての展開が考えられていたわけでないと話したが、では、どこから元気ロケッツは生まれたのか。それは「ゲーム」だ。水口氏はゲームクリエイターとしても著名で「セガラリー」「スペースチャンネル5」「Rez」などをプロデュースしている。そうしたゲームのひとつ、「ルミネス」から元気ロケッツは生まれた。いや、正確に言うと楽曲が先にうまれたのだ。

「いろいろなアーティストに楽曲を提供してもらったんですが、もうひとつ、『聞いて元気になる曲』がほしかったんです。どうしてもイメージに合う曲がなかったので作ってしまおうということになりました。」

その曲が「Heavenly Star」だ。そう、元気ロケッツはゲームの1楽曲から生まれた。

題名の言葉はそんな状況を表したものだ。数十万枚売れるパッケージメディアはCDであろうがゲームであろうが、数十枚分のメディア価値を持つ。ゲームの価値が一般的に認知されてきたことで、メディア的価値も高まり、ここ数年でゲーム自体をメディアととらえたゲーム内広告ビジネスが本格化してきている。

ところで、元気ロケッツのコンセプトからも感じられるように、水口氏の興味分野は宇宙も含まれている。それは同氏のインスピレーションの源のひとつでもある。

「例えば宇宙遊泳をしながら地球を見ると、光の当たっているところと影になっているところの境目は単なる『線』にしか見えません。でも『線』にいる地上の人には夕日が見えていて、風を感じている。そのときの二者の距離こそが『リアル』で、そこで何を感じるか」

私も水口氏も本当の意味では後者の夕日を見る気持ちしかわからない。しかし、宇宙しか知らない元気ロケッツの「Lumi」は逆に夕日を見る気持ちがわからないだろう。この時、両者の間には埋まりようのないもどかしさと同時に、確かに「なにか」が存在している。僕は元気ロケッツの楽曲はポジティブな元気さの中に、時折いいようのない切なさに似た気持ちを感じることがある。それこそが、その「なにか」なのかもしれない。

 

 

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「にゃふにゃふ動画」なるものがあったそうな。しかも期間限定で。

にゃふにゃふ動画(現在はすでに終了)
http://live.sohosai.com/nyafu/

にゃふにゃふ動画とはこの連休に開催された筑波大学の学園祭「雙峰祭」会場のライブ映像に対し、ニコニコ動画のように(というかまさに同じようにw)リアルタイムにコメントをつけられるサービスだ。ちなみにネーミングの由来は「企画立案者の口癖」(サイトより)とのこと。

これがなんかよくできている。筆者はあいにく学園祭中のライブ映像はみられなかったのだが、その後の再放送を見ることができた。接続ユーザーはニコニコなどに比べれば当然多くはないが、放送3日目には1日で45,000PVを集めたという。また、学園祭の中継レポーターを務めた女の子は中継中の発言にちなみ、視聴ユーザーから「にょ」と命名され、プチアイドル状態になっていた。このあたりの展開はニコニコ動画によくにている。再放送後にはリアルタイム中継でサーバ群の説明もあったのだが、30台ほどで構成されているようで、その本格的な構成に驚く。同大学は母校であったりもするので、大学の風景が懐かしくもあり、とても楽しかった。もちろんそれは同時に見ているユーザーとコメントで盛り上がれたという部分も大きい。

ニコニコ動画のリアルタイムコメントシステムが目指したものは共有された動画ファイルに対する擬似的なリアルタイムコミュニケーションだったが、ニコニコ生放送やこうした例をみるとストリーミングに対しても有効なコミュニケーション方法であることがわかる。もっとも、ニコニコ動画自体が2ちゃんねるの実況スレをヒントに生まれたというからもともとのコンセプトに戻ったというべきか。

また、オンライン以外でも活用の場がありそうだ。以前、ニコニコ動画モバイルが発表される直前くらいにニコニコ動画の技術勉強会に参加させてもらったことがあるが、 そこではある面白い試みがされていた。プロジェクターで映されたプレゼンの画面に、プロジェクターをもうひとつ使って、ニコニコと同じようにコメントが流れるようになっているのだ。勉強会参加者は専用サイトに携帯などでアクセスし、コメントを送ることができる。これもうまく作られていて、携帯で文をいちいち打たなくていいように数字を押すだけで「www」などがでるよう工夫がされていた。発表者は聴衆の反応をリアルタイムに受けながら話を進めることができる。プレゼンでは聴衆とのインタラクションが重要になることも多いが、それを自然に促せる仕組みである。ただ、あまりに受けすぎると画面が弾幕で見えなくなってしまうが・・・。

コンテンツを核に刹那的なコミュニティを形成し、それをコンテンツの価値に還元する。ほかの場面でもいろいろと考えられそうだ。

 

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僕はデバイスについて考えていることが多い。このブログを読み返してみても、少ない総量ながらデバイスについて書いているものが目立つように思う。

そんな中、 「フォトレポート:インテルの思い描くマシンインテリジェンスの将来像」で紹介されている脳波デバイスが気になった。

脳波で操作するデバイスといえば、慶応義塾大学の牛場潤一専任講師らが行った、脳波でセカンドライフのアバターを動かす実験や、7月に日本でも発売されたOCZの「脳波マウス」 などが思い浮かぶ。脳波による操作の実現は、例えば障害を持つ人がPC操作をするうえで有効な方法といえるが、正直どこまで実用的なのかまだ判断できていない。

そもそも、本当に脳波を認識しているのかもわからない。先の脳波マウスの記事では「額に意識を集中させる感じで操作する」とあり、インテルのフォトレポート記事には「われわれは、脳から直接、電気信号を受信する。そして、頭蓋骨の振動を測定する。」とある。む力ことによる筋肉の電気信号や震え影響しているように思えてならない。それを確かめるためにもOCZの脳波マウスは手に入れたいと考えている。ただ、仮にこれがやはり脳波によるものだとしても、雑念だらけの人間にはそれはそれで悩ましいデバイスになりそうだ。

とはいえ、個人的にはこうしたデバイスに期待をしてもいる。PCを使ったデスクワークであれば、考えるだけでOKだなんて夢のようだ。もっとも、そうなったら考えることすら面倒くさくなるのだろうが。

 

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先週末の話になるが、iPhoneが買えなかった。

とはいえ前日から表参道に並ぶほどの元気とテンションはなく、当日に中目黒のショップの抽選に参加したくらいだからもっともといえばもっともだ。iPhone発売の前日はどちらかといえばGoogleの仮想空間「Lively」に気がいっていた。ずいぶん前からうわさだけは流れていたが確証もなく、期待半分といったところで出てきたものだけにこっちの方がテンションが上がってしまった。

さて、そんなLivelyのレポートも書きたいところだが、それははこちらに任せるとして、こうしたバーチャルワールドや3Dインターネットといった新しいテクノロジーとアートの関係を改めて考える機会があったのでそれについて書きたい。

先日、五反田で開催されたトークイベント「メディア・アートから見た未来」を聴いてきた。スピーカーはクリエイティブ・クラスターの岡田智博さん、WOWの亀田和彦さん、デバイス・アーティストのクワクボリョウタさん。

そこでメディア・アートの役割のひとつとして挙げられていたのが、「テクノロジーの使い方を提案する」というものだ。

同様の内容を、5月に来日したセカンドライフ創始者フィリップ・ローズデール氏へのインタービューと講演でも聞いたことを思い出した。ある種の、本当に新しいテクノロジーというのは容易に理解ができないために、しばしば従来のテクノロジー概念を「借りて」理解される。例えば、映画が「活動写真」と呼ばれていたことや、インターネットも「サイバースペース」というように「スペース(空間)」になぞらえて概念的に理解しようとされた。インターネットの利用形態のひとつであるWebも当初は印刷物の概念が多用された。それだけでなく、企業サイトの「ページ」も紙の会社案内を単に移しただけというものも多かった。

そうした中で、Webが秘める可能性を様々な観点から見せてくれたのが、個人を中心としたクリエイター達だ。当の本人たちはそう思っていなかったかもしれないが、その表現手法はまさにメディアアートのそれだ。当時有名だったイギリスの「研究室のコーヒーメーカーにコーヒーが残っているかWebカメラで写しているだけ」という当人たちには単に実用的なサイトも、紙の概念からは到底できなかったものだ。

新たに出てきたテクノロジーを「○○といっしょじゃん」「○○に似ている」「それなら今ある■■のほうが便利」と、切り捨ててしまうことはその先の可能性も見落としてしまうことになる。今までの概念で測れないことは容易にたどり着けないものだ。

そこにはなにかあるかもしれないし、ないかもしれない。しかし、それを探そうとした者だけがそれを見つけることができる。

メディアアートの考え方はそれを教えてくれる。

 

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ジャパン・ソサエティーと朝日新聞社の主催によるジャパン・ソサエティー創立100周年記念シンポジウム「創造の作り手・創造の届け手」を聞きに行った。

ジャパン・ソサエティーは米国最大の日米交流団体。日米の相互理解のため、政治・経済・文化・教育など幅広い分野で活動している非営利団体。ジョン・D・ロックフェラー3世が理事長を務めていたこともある。

シンポジウムの前半はライオンキングの舞台演出などで著名な舞台演出家ジュリー・テイモア氏と宮本亜門氏の対談、後半はゲームクリエーターの水口哲也氏、日本テレビの土屋敏男氏、アスキー取締役の遠藤諭氏による討論が行われた。(後半のレポートは別途掲載した)

そのように意図されたものかはわからないが、全体を通して感じられたメッセージは、「表現手法としてのメディアはそれぞれ特性が異なる」ということだ。こう書くと当たり前に感じられるが、その実、忘れられやすい事柄でもある。例えば、映画やラジオはテレビの登場によって淘汰されるといわれた時代もあった。確かにある時のピークはすぎたかもしれないが、映画もラジオも残っている。それはなぜか。言うまでもなく、映画には(テレビにはない)大きなスクリーンと音響による臨場感や非日常性があるし、ラジオには聴覚メディア特有の「ながら視聴(?)」に最適というメリットがあるからだ。

■メディアとしての「演劇」

前半の対談では「演劇」というメディアの特性が語られた。

ジュリー・テイモア氏は「テレビでは『夕日』を表現しようと思ったら、実際の夕日の映像を映すしかありません。でも、舞台では布1枚で『夕日』や『草原』を作ることができます。そこにあるのは『布』でも観客はそれぞれのイマジネーションを膨らませることができる。こうした『様式化』が可能なのが演劇の特徴です。目に見えるものだけでなく、ライブでイメージを通して理解できるのです。」同氏は同様の例として、舞台「ライオンキング」でとられた「ダブルイベント」を挙げた。これは動物のマスクをした人間がどちらかのみを演じるのではなく、ある時はそこにいる人間であり、ある時はマスクの動物であるという二重の表現を指す。「こうした表現のヒントは日本やインドネシアの舞台文化から得たものです」(同氏)

宮本亜門氏も同様に1本の棒をさまざまなものに見立てることができる演劇に対する、テレビや映画の違いを挙げた。その上、両名は共にこれは単にツールの性質の違いでしかないと話している。例えば、「編集」という表現はリアルタイムで進む演劇にはないものだ。テレビのような家庭で(もしくは屋外で)気軽に見られる手軽さも演劇にはない点だろう。

しかし、だからこそ、演劇ができることがあるのかもしれない。宮本亜門氏は最近の風潮について「画面を通してではなく、生の言葉、生の空間、生の思いを感じたいという要望が強くなってきている気がする。(そうした言葉ではないものを表現できる演劇は)むしろ面白い時期に入ってきたと感じています」と語った。

■引き出しの「引き出しかた」を提案するのが演出家

次に演出家としての考えに話が進む。

宮本亜門氏は「演出家はある種、観客を『操作』するという立場では?」という質問に対し、「操作ではなく、観客の中にすでにある『引き出し』の『引き出しかた』を提案するのが演出家」だと答える。ジュリー・テイモア氏も「(演劇によって)文化が変化することによって新しい自分を見ることができる」という点を挙げ、感情の源は観客自身の中にあるとした。

最後に、権利問題はあるにせよ、ネットで多くの動画コンテンツが視聴されている現状について質問がされた。テクノロジーによって情報は流通しやすくなったが、同時にクオリティの問題や編集自体が変えられることによって、もともとコンテンツがもっていたメッセージが変わってしまうことがある。作り手として複雑な部分もあるようだが、これについて「受け手がそれぞれの解釈を持っていい」という意見だった。

受け手がある作品を解釈し、それを再度発信、それをまた別の受け手が解釈して、という流れはニコニコ動画などでユーザーレベルで実際さかんに起きている。

もう少しいえば、権利的な問題が生じやすいこうした動きをよりスムーズに機能させるための仕組みとしてクリエイティブ・コモンズなどがあるのだろう。

逆に演劇の分野にもこうした「相互解釈」のような取り組みがあれば面白いと感じた。演劇分野に詳しくないのでもしかしたらあるのかもしれない。ぜひともみてみたいと感じた。

続く後半のレポートは以下に。
バーチャルワールドというメディアの特性(水口哲也氏/土屋敏男氏/遠藤諭氏の討論を聞いて)

 

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先日、アメリカで開催されたゲーム開発者会議「GDC08」でこんなゲームが話題を集めていたらしい。

Crayon Physics Deluxe

[youtube=QsTqspnvAaI]

丸(ボール?)を転がして☆マークに当てると面クリアという単純なゲームなのだけれども、その操作方法がおもしろい。画面に書いた四角や丸を描くと、それがそのまま紙上の世界のモノとして動き出すのだ。単純に「落ちる」だけかと思ったら、自動車やハンマーのように動かすこともできたりして、意外と幅広く展開できそうだ。

動画でもそうだが、マウスよりもタッチペンのようなデバイスが合っている。コンシューマー向きに発売されるとしたら、やはりプラットフォームはDSだろうか。ゲームカテゴリもパズル系だけではなく、他のタイプでも活用できるかもしれない。

ところでこのゲームはボールが画面の外に落っこちてしまったら当然リトライになるのだが、場合によってはこんな風にハマってしまうことも・・・。

[youtube=v5po8vczF1Q]

最後のあがきが(笑)

Crayon Physicsは以下のページからダウンロードできる。ただし、下記は「Deluxe(デラックス)」版ではないので、残念ながら四角しか描くことができない。その点ご了承を。

Kloonigames

 

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 カプコンとドワンゴの合弁企業ダレットがこの春から提供予定のバーチャルワールド「ダレットワールド」。2月頭の第1次クローズドベータテストから約3週間ほどの期間を経て、明日2/28より第2次クローズドベータテストが開始される。と思っていたら、GameSpot Japanにインタビュー記事を見つけたので読んでみた。

仮想コミュニティ空間を狙うダレットが目指す先とは? ダレット代表取締役社長 稲船敬二氏 インタビュー

第1次の時から実際に入って体験しているのだが、さすがに「モンスターハンター フロンティア オンライン」などのオンラインゲームを運営しているだけあり、多人数が同時に表示されているような場合でも思いのほか動きがスムーズでほとんどストレスがなかった。(アバターの名前が見づらかったりしたが、これは仕方ない…)

 また、同社代表取締役の稲船氏のいう「コミュニケーションのタネ」もちりばめられており、とっつきやすい印象を受けた。ただ、一般的なゲームを想像してきたユーザーにはまだケアが必要かもしれない。バーチャルワールドにおけるコミュニティ活性化のため、どこまでユーザーに手を差し伸べるかはやはり悩みどころのようだ。

またインタビュー中でも触れられているが、写真をすぐにアバターアイテムにできる「フォトアバター機能」を生かした積極的なファッションへの取り組みも楽しみだ。これに関連しては先日、ダレットワールドへセレクトショップ「BEAMS」が出店するというニュースが報じられている。

この春から夏にかけ、これまでの試験期間を経て、国内のバーチャルワールドサービスが徐々に立ち上がってくる。それぞれがこれまでのバーチャルワールドの課題をどのように解決していくのか、期待したい。

 ダレット稲船氏のインタビューは下記にも。

【独占インタビュー(前編)】稲船社長が語る!ダレットワールドが目指す世界とは?
【独占インタビュー(後編)】稲船社長が語る!ダレットワールドを車に例えると?

 

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CNETの以下の記事を読んで、エントリーを書いたのだけれども消えてしまった。

NASA、仮想世界を構想–狙いは科学者の育成

悔しいので、もう1回要旨だけでも書いてみる。

まず、ここでは「仮想世界」「多人数参加型オンラインゲーム」、そしてすでにNASAがセカンドライフに拠点を持っていることがうまく整理されていない気がする。特に前の2つは記事中では同じものをさしているにも関わらず、日本語のイメージの違いから咀嚼不足の感が否めない。

というわけで、BBC NEWSのほうの記事を読んでみる。


  Nasa investigates virtual space
(BBC NEWS)

さっきは引用しながら書いていたのだけど、それもなしで書いていく。

仮想世界を活用することで、宇宙に興味を持つ人が宇宙探査を疑似体験できる機会が増える。1969年に人類が初めて月面に立ったときは世界中の人々がテレビを通してその様子を見守ったというが、仮想世界のようなアバター等を介した没入型メディアが一般化することで、現在進められている月面への再到達の際は、一般の人も月面到達を共に「体験」できるようになるかもしれない。これはテレビメディアではできなかったことだ。

それと、NASAとしては仮想世界によるこうした感覚的なアプローチによって宇宙探査への興味を喚起し、 将来的なエンジニアや科学者を育て、確保する目的もある。これはすでにアメリカ陸軍がオンラインゲーム「America’s Army」で行っていることだ。いわゆる「シリアスゲーム」としての活用になる。

セカンドライフ関連の話題で急激に注目された影響はあるだろうが、仮想世界はその本質を見極め、もっとフラットに扱ったほうが効果的な結論にたどり着けるのではないか。

短くまとめてみました。

ところで、2007年の優れた仮想世界活用を表彰するイベントが2/7(木)にあります。ダレットワールド、スプリューム、meet-me、ViZiMO、NTOMO、Jin-seiといった国内バーチャルワールド企業も発表します。よろしければどうぞー。

Virtual World of the Year 2007

 

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メディア・アーティスト岩井俊雄さんとYAMAHAのコラボレーションによって開発された「楽器」である「TENORI-ON(テノリオン)」を12月はじめに購入して1ヶ月たった。TENORI-ONは知っている方はわかと思うが、その演奏姿勢からして新しいもので、両手で本体の両側をつかみ、本を読むように持ち上げて演奏する(自分はテーブルに置いていじってるけど…)。大きさは特に大きくもなく小さくもなく、マグネシウム合金の周辺ボディ部分はほどよい重さがあって安定感がある。ただ、長時間持ってパフォーマンスするのはつらいかもしれない(予定はないけど…)。譜面台のような形のスタンディングパフォーマンス用の台があればうれしい(使う予定はないけど…)。

「楽器」というものを買うのは実に10年以上ぶりだった。もっとも、前は憧れが先行してマスターできずじまいだったが、そうした憧れというものはそうそう消えない類のものもあるらしい。結局買ってしまうことになった。

TENORI-ONの音に関してはあいにく判断基準を持っていないもので詳しくはわからないが、自分的にはまったく問題ない。演奏モードもそれぞれ特徴があり、偶然性も加味した演奏も可能だ。あるモードではTENORI-ON特有の演奏で簡単に幻想的な空間を作り出すことができ、最初は自分が出した音に驚いた。(期せずしてホラー空間になったりするけど)

なにしろ16×16のボタンで音階も時間軸もまかなおうというのが潔い。これによって要求音楽スキルのハードルが大きく下がっている。 これは岩井さんの意図したのも同じようで、「音楽を『聴く』人のための楽器」を作ろうとしたらしい。

ところで、最近のユーザー寄りの音楽を取り巻く動きを見ていると、こうした「音楽を演奏(配信)する側」と「音楽を聴く側」が重なる領域がどんどん大きくなってきている気がする。その背景にはかつての音楽演奏ゲームの流行による「擬似演奏による慣れ」や、テクノロジーを背景にしたDTM(デスクトップミュージック)や手軽な楽器などの存在があり、これらによって聴く側は演奏する側にいつでもシフトすることができるようになった。

そして、これに加えてニコニコ動画YouTubeでの動画を用いた作品公開やセカンドライフなどでのリアルタイムライブなど、発表のインフラが整ってきたことが大きい。動画共有サイトはコメントで、セカンドライフなどのバーチャルワールドはリアルタイムにオーディエンスからのフィードバックが得られる。趣味で音楽を制作する者にとって、これほど素晴らしい報酬はない。さらにいうなら、ニコニコ動画やセカンドライフでの音楽活動がCDやリアルのライブ演奏につながるなど、よりドラマティックな展開も置き始めている。

この場合のテクノロジーは表現手段の一つである。音楽もその点においては同じものだ。

というわけで、さらなる考察やTENORI-ONの詳細レビューはまた今度・・・。以下のサイトでも書いてます。

関連サイト:
TENORI-ON(テノリオン) 情報サイト♪「TENORIST(テノリスト) 」

 

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青山スパイラルホールで行われた『劇的3時間SHOW』という10日間くらいに渡るイベントの中で、メディアアーティストの岩井俊雄さんの回があるということで行ってきました。

で、その後半は6年の歳月をかけてとうとうこの9月にイギリスでテスト販売が開始されたという「TENORI-ON」というガジェットの紹介だったのですが、これが思いがけず、いい。
ちなみにこんなやつです。

岩井さんがこの楽器を製作した理由のひとつとして、現代ならではの楽器を作りたかったという点をあげています。たとえば、これまでの楽器はその演奏スタイルも含めてどれも非常に個性的です。ピアノやギター、バイオリンは演奏するポーズだけで、それとわかります。でも、1900年代以降、(テルミンを除いては)本当の意味での新しい楽器は出てきていないと岩井さんは指摘しています。確かにシンセサイザーなどは基本的にピアノの鍵盤というインタフェースを踏襲しています。

こうした中、「TENORI-ON」は、演奏スタイルも含めた新たな「楽器」として位置づけられました。

それは「TENORI-ON」の完成度を見てもわかります。曲を「レイヤー」「ブロック」として扱うことで即興演奏だけでなく曲を構成することを可能にしたり、MIDIやSDカードといったインタフェースを装備することで他デバイスとの連携やデータ保存にも考慮しています。インタフェースの奇抜さに頼らず、楽器としての作りこみがきちんとされている印象を受けました。

ところで、SDカードには演奏データも記録できるのですが、これは完成した曲データばかりではなく、その制作・演奏過程もすべて記録できるそうです。つまり、タイミングがずれてしまったり、操作を誤ってしまった様子も記録されてしまうのですが、そうしたデータを再生したとき、岩井さんは「人の気配」を感じたといいます。

これはセカンドライフのようなVirtual World業界でよく耳にする「テレプレゼンス」という概念によく似ています。Virtual Worldがアバターを通して世界の存在感を伝えるのと同じ様に、「TENORI-ON」はその演奏を通して(音だけでなく)演奏者の存在感をも伝えているのかもしれません。データの形であればネットで簡単にやり取りができます。そう考えると、「TENORI-ON」は楽器という側面を持ったコミュニケーションメディアであるともいえそうです。

参考:
TENORI-ON開発日誌「劇的3時間SHOW」
TENORI-ON(テノリオン) 情報サイト♪「TENORIST(テノリスト) 」

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