湯川鶴章さんの「湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: 「情報の出し手は1%」は本当なのか」を読んで。
昔から、世の中のほとんどの人は情報を消費する人で、「情報を発信する人」は全体の1%しかいない、といわれているが、そんなことはないんじゃないかというお話。
Wikipediaではそうした傾向が出ているらしいというので、ちょっと日本の状況を調べてみた。一例として、今ネットで個人が情報発信する方法として一番メジャーといってもいい「ブログ」を採りあげてみる。
まず、日本のネット人口がどれくらいかというと、「インターネット白書2007
」によれば8220万人ほど。
そして次にブログ数。ちょっと時期がずれるけど「ブログの実態に関する調査研究(総務省情報通信政策研究所(IICP)調査研究部)」によれば、2008年1月時点でブログ開設数は1690万。1ヶ月以内に更新があるアクティブなブログは300万だったという。つまり多くて約20%、少なく見積もっても約3.6%の人がブログで情報発信していることになる。複数立ち上げている人もいるので、多少控えめに見る必要はあるけれども、これはあくまでブログだけの話。他の情報発信手段(掲示板やSNS、Twitterや最近中高生で話題という噂の「リアル」などのマイクロブログ、等)もいれれば赤ちゃんまで含めた日本の全人口からみても1%以下ということはないだろう。
というわけで、少なくとも日本では1%より全然多そうなことがわかった。
では、なぜ未だに「1%」という数字がでてくるのか。
これについては湯川さんが以下のように述べていて、まさにそのとおりだと思う。
1%ルールって、情報発信の敷居の高い場合だけに当てはまるんじゃないのか。日展に応募する人がごく一部しかいないことを例にとって、「日本人は絵を描くのが好きじゃない」と言っているようなものじゃないのか。幼稚園に行って「お絵かきが好きなお友達、手を挙げて」と言えば、ほとんどの園児が手を挙げると思う。
湯川鶴章のIT潮流 powered by ココログ: 「情報の出し手は1%」は本当なのか
情報の出し手の定義しだいともいえるが、これをふまえて、湯川さんは「情報発信しやすいように敷居を下げることが、新しいツールやサービス、ビジネスを作っていくうえで大事なんじゃないだろうか」とも語っている。
敷居というか、ハードルの下げ方はいろいろある。操作性は最たるものだろうが、コストや心理的なハードルもあるだろう。心理的にいえば「気軽に」発信できるよう、実名を出さないサービスも多い。匿名性の高い情報発信に対しては無責任な発言を不安視する声もあるが、ハードルとのバランスをとりながら秩序をどう担保していくかはサービス設計の問題だろう。
ともあれ、ブログというツールがその操作性の簡便さでネットでの情報発信に対するハードルを下げたことは間違いない。その意味ではWikipediaもWikiというツールで操作性のハードルは下がったが、サービス上「気軽過ぎる」書き込みは信頼性を損なう恐れがある。そうしたバランスを慎重にとった結果、「情報を発信する人は1%」という「あるべきバランス」に落ち着いただけだと考える。
ところで、「インターネット白書2008(CDROM付)」には僕も寄稿しているので、よかったら読んでみてください。
って、もう2009年か。
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