2月 182009
ダイヤモンド・オンラインに掲載されている岸博幸さんの記事「「かんぽの宿」騒動で分かった! 賛否両論なき日本のネットはゴミの山」を読んで「これはちょっと…」と思っていたら某所でも話題になっていた。
少なくとも日本では、インターネットは民主主義やジャーナリズムといった社会の基盤の強化には全く役立っていません。マスメディアが苦境に陥ってもインターネットがあれば大丈夫なんて理想論は忘れましょう。日本における民主主義やジャーナリズムの将来のためには、マスメディアの再生が不可欠なのです。
via 「かんぽの宿」騒動で分かった! 賛否両論なき日本のネットはゴミの山|岸博幸のクリエイティブ国富論|ダイヤモンド・オンライン
ネット云々の前に比較のレベル感が合っていないのではないだろうか。
「マスメディア」と「インターネット」を比較しているが、ここでいう「マスメディア」は媒体形式(新聞・雑誌であれば紙、テレビ・ラジオであれば電波)のことを言いたいのではないだろう。ジャーナリズムを引き合いに出しているのだから「マスメディア」という機能を指していると考えられる。そして「インターネット」にも媒体形式(TCP/IPに対応した様々な電子的経路)ではなく、なんらかの機能が想定されているように見える。
ここが本記事に違和感を感じる点だ。「誰かが『インターネット』(という情報提供サービス)をやっている」という前提で述べられているようにみえる。が、もちろんそんな「誰か」はいない。インターネットは通り道であり、コンテンツは各情報提供者がインターネットという情報通信路を使って配信している。マスメディアが紙や電波を使って配信しているのと同様だ。
岸博幸さんは
ネットの将来を考えるに際して民主主義やジャーナリズムの観点を欠いては、ネットは単なる流通経路、ゴミ溜めでしかなく、決して成熟したメディアにはなれないでしょう。
と述べているが、その通りで「インターネット」は「単なる流通経路」である。それ以上ではありえない。
もし、仮にコンテンツ提供の機能を含めて「インターネット」としているのであればそれこそ乱暴だ。インターネットでは機能としてのマスメディア、企業、団体、個人、その他もろもろ、あらゆる主体がコンテンツ提供者となっている。漠然とした「インターネット」というくくりでは比較のしようもないだろう。
平成7年から平成17年(4年前)の間でも人々が触れる情報の流通量は400倍になっているという。それくらい増えれば有用でない情報の絶対量も増える。2007年の調査になるが「ネット上の間違い情報5割近くが経験、信頼できる情報は新聞がトップ – japan.internet.com デイリーリサーチ」によればネット上で間違った情報にあった割合は5割近くにのぼっている。しかし、ユーザーはそうした中で無防備でいるわけではない。98%が「ネット上の情報を見極める必要性がある」と感じており、72%が「インターネットで信頼できる情報源(複数選択可)」に「ニュースサイト」をあげている。ニュースサイトには機能としてのマスメディアが提供する情報も含まれることは容易に想像できる。つまり、ネットでもマスメディアが排除されることはない。そうなれば、結果的に「マスメディア vs ネット(マスメディア含む)」ということになり、比較自体が無意味だ。ジャーナリズムの話の前に、こうした部分を整理しないと話が進まないように思える。
ところで別の話として「ネットには有用でない情報(の絶対数)が多い」というのは確かにそうだろう。ただ、それはネットはテレビとは別の情報収集手段であり、ネットでの情報収集には「チャンネルをあわせる」こととはまた別のスキルが必要というだけだと考える。
以前紹介した「情報力」(橋本大也/著)にあるような情報整理・活用の力が求められていると感じる。
新聞、テレビ、インターネット…媒体の違いを活かすということ
米Wiredの記事を発端とした騒動を林信行さんのTwitterをチェックしながら見守っていた。ともあれ、現在はおよそ落ち着いたようでなによりです。
そして…
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