【このエントリーはCNET読者ブログ(2010年6月閉鎖)に掲載していたものです】

先週末の話になるが、iPhoneが買えなかった。

とはいえ前日から表参道に並ぶほどの元気とテンションはなく、当日に中目黒のショップの抽選に参加したくらいだからもっともといえばもっともだ。iPhone発売の前日はどちらかといえばGoogleの仮想空間「Lively」に気がいっていた。ずいぶん前からうわさだけは流れていたが確証もなく、期待半分といったところで出てきたものだけにこっちの方がテンションが上がってしまった。

さて、そんなLivelyのレポートも書きたいところだが、それははこちらに任せるとして、こうしたバーチャルワールドや3Dインターネットといった新しいテクノロジーとアートの関係を改めて考える機会があったのでそれについて書きたい。

先日、五反田で開催されたトークイベント「メディア・アートから見た未来」を聴いてきた。スピーカーはクリエイティブ・クラスターの岡田智博さん、WOWの亀田和彦さん、デバイス・アーティストのクワクボリョウタさん。

そこでメディア・アートの役割のひとつとして挙げられていたのが、「テクノロジーの使い方を提案する」というものだ。

同様の内容を、5月に来日したセカンドライフ創始者フィリップ・ローズデール氏へのインタービューと講演でも聞いたことを思い出した。ある種の、本当に新しいテクノロジーというのは容易に理解ができないために、しばしば従来のテクノロジー概念を「借りて」理解される。例えば、映画が「活動写真」と呼ばれていたことや、インターネットも「サイバースペース」というように「スペース(空間)」になぞらえて概念的に理解しようとされた。インターネットの利用形態のひとつであるWebも当初は印刷物の概念が多用された。それだけでなく、企業サイトの「ページ」も紙の会社案内を単に移しただけというものも多かった。

そうした中で、Webが秘める可能性を様々な観点から見せてくれたのが、個人を中心としたクリエイター達だ。当の本人たちはそう思っていなかったかもしれないが、その表現手法はまさにメディアアートのそれだ。当時有名だったイギリスの「研究室のコーヒーメーカーにコーヒーが残っているかWebカメラで写しているだけ」という当人たちには単に実用的なサイトも、紙の概念からは到底できなかったものだ。

新たに出てきたテクノロジーを「○○といっしょじゃん」「○○に似ている」「それなら今ある■■のほうが便利」と、切り捨ててしまうことはその先の可能性も見落としてしまうことになる。今までの概念で測れないことは容易にたどり着けないものだ。

そこにはなにかあるかもしれないし、ないかもしれない。しかし、それを探そうとした者だけがそれを見つけることができる。

メディアアートの考え方はそれを教えてくれる。

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