【このエントリーはCNET読者ブログ(2010年6月閉鎖)に掲載していたものです】
Second Life(セカンドライフ、以下SL)が昨年後半から国内で盛り上がりを見せ始めて久しい。が、方々で言われているようにメディアでの盛り上がりが、サービスの盛り上がりを反映しているかといえばそうではないようだ。先日、御茶ノ水のデジタルハリウッドで行われたセミナーで聞いたところによれば日本のユーザーはまだわずか1万4千人ほどだという。
そんな私も昨年から始めてはみたものの、SLの可能性を語る口先とは裏腹になぜかあまりログインしていないという状況が続いている。「Second Lifeは日本でも流行するのか(ITmedia News)」によれば、というか、よらなくても想像がつくとおり、同様の状態にある人たちの理由の最たるものは、いざログインしても「何をすればいいか分からない。」というものだろう。そして、3D表示を基本とするSLにおいては「PCスペックが足りず、やたらと遅くてイライラする」というのもよく聞く話だ。
・・・と、そこではたと気づく。
この話、どこかで聞き覚えがないだろうか。
私はここにインターネットの黎明期と同じニュアンスを感じている。現在でこそ、「インターネットを使う」という言葉は、それが使われた文脈の中で「検索」や「動画サイト」や「SNS」などのサービスに自然に変換されて伝わっていくが、かつては言葉のままにネットを使うこと自体が目的である、「ネットサーフィン」なんていう言葉が存在感を持っていたころだ。
当時も「インターネット、始めてはみたものの…」という人は多く存在していた。
SLもこれと同じ状況にあるように思う。
ネットの例えがわかりにくければ、ソフトの入っていないパソコンやゲーム機に例えてもいい。だとすればSLはその仕組みだけでは成り立ち得ない代物だ。SLの開発元であるリンデンラボの人もいうとおり、SLはインフラであり、そこにいかなるコンテンツを構築するかが「価値」となるのだ。
もう少しインターネットに例えさせてもらえれば、現在でもSLには海外の人が作成した面白いコンテンツがたくさんある(らしい)、という状況も日本のインターネット黎明期によく似ている。あの頃は国内にたいした「ホームページ」がなかったため、面白いページを見つけようと思ったら英語が必須だった。さらにいえば、「検索」の使い勝手がまだまだなのも似ている。
SLは3D版のインターネットだ、という人もいるが、それはこうした考えに基づくものであろう。
そうしてみると、「あなたはSecond Lifeを理解できるか?(Speed Feed)」で述べられた
「リアルの世界では悲惨な窮乏生活や、他の人間とのコミュニケーションのない寂しい人生を送っているとしても、Second Life内でヒーローになれたとすると、それで人生の帳尻が合っていると感じるのかもしれない。」
というくだりも現在のネットの状況を見れば、まず間違いなくやってくるように思える。
「Second Lifeでなにをやればいいかわからない」という声は、SLをインフラと捉えればまったく意味をなさない。SLはするものではなく、それ自体はコンテンツを媒介するだけである。今後しばらくは「本物の」3D世界である現実世界をSLに移す試みが多くされるだろうが、どこかで「3D×ネットワーク」ならではのコンテンツが生み出されるに違いない。かつて、テレビがラジオの置き換えから、ホームページが本の置き換えから始まり、次第に独自の特性を持つメディアを作り上げていったように。
SLでネックになっている要求スペックの高さに起因するパフォーマンスの問題もインターネットにとってのアナログモデム時代を髣髴とさせるが、これは純粋に時間が解決していくだろう。
すべてをインターネットになぞらえるつもりはないが、そうした見方は今後を見通すひとつの尺度になるのではないかと考えている。
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